1.幼年期

半生

父親の顔は知らない。

物心ついた時には、母親と弟の3人暮らしだった。

いや、一度だけ写真を見た記憶がある。思えば、今の自分と似ていた気がする。

離縁の理由は父親の不貞らしいが、長年見る彼女の動向からすると、真偽の程は解らない。

若くして二人の子供を抱え、相応の苦労をした事だろう。ストレスの矛先は子供に向けられた。『折檻』の記憶は断片的に残っている。

2歳の私は弟の世話を任され、円形脱毛症になりながらミルクを飲ませていたらしい。これを親になった私へ笑いながら話す彼女に対し、何も感じない自分に不安を覚えた。

 

一度、事故にあった。絶対に躱せないタイミングで、死角から道路に飛び出したらしい。今では相手に同情する。激しく衝突し、車の下へ巻き込まれた。腕や足にはタイヤの跡が着いていたが、奇跡的に一切の外傷なし。狭い道路だった事もあり、時速40km/h程度だった事が幸いした。あの時、天運の多くを使ったと思っている。故にあまり幸運に恵まれない人生でも、文句は言えない。

小さい頃は、松田優作に憧れていた。空手を習う。道着が嬉しく、ワザと遠回りして道場に向かった。しかし、田舎の空手道場に集まるのは、相応の札付きばかり。師範はいつも酒臭く、放任。とにかくケガ・問題が絶えなかった。特に記憶に残るのが『踏み木』と呼ばれていた指導。足の間に木のバットを挟み正座し、そのバットを踏むというもの。軽く踏んでも激痛だった。この容赦ない指導で肉離れ者が続出。程なくして道場は閉鎖となった。松田優作になる夢は終わった。

次に興味を持ったのはサッカーだった。『キャプ翼』の影響でサッカー部の無かった小学校が創部したため、多くの男子生徒がノリで入部した。

今度は岬君になるつもりで始めたが、センスはまずまず。Bチームのセンターハーフを任された。小柄だが全体を俯瞰する能力が多少あったらしい。しかし、その分、動かないセンターハーフは賛否両論だった。今、会社でも同じ様な事を言われてる気がする。

あの頃は、川遊びが盛んだった。その分事故も多く、基本的に親からは『近づくな』と言われていたが、川は魅力的な遊び場だ。隠れて赴き、毛ガニや手長エビを採ったり、ハイゴ・ゴリ・フナを釣る等、びしょ濡れになって遊んでいた。

ある日、テトラポットを飛び渡る遊びの最中、見事落水。たまたま通りかかった近所の人に見止められ、周辺総出の救出劇となった。ずぶ濡れで正座し、親から受けた鬼の叱責は、今も記憶に残る。

2人の子供を養うため、親は夜も旅館の中居で働いていた。夜はいつも弟と2人、寂しい思いをしていた。

その夜もいつも通り、2人の夜。煙草を吸う親のライターが目に映る。寂しさを紛らわすためか、火打石を擦り、着けたり消したり。うっかり手元を誤り、炬燵の布団に引火。驚くほど一瞬で燃え上がる。パニックになりながら近所の家に駆けこみ、周辺総出の消火劇となった。幸い軽いボヤで済んだが、ずぶ濡れで正座し、親から受けた鬼の叱責は、今も記憶に残る。

事故で頭を打った後遺症か、悪い夢でうなされる事がよくあった。その夜も悪夢に目覚めたが、働きに出ているため、親の姿はない。不安に駆られ、泣きながら弟と雨の夜を彷徨い歩いた。

仕事から帰った親が2人の姿がない事を認め、大騒ぎ。警察を巻き込み、周辺総出の捜索劇となった。

程なく発見され、ずぶ濡れで正座し、3人で泣いた。

 

大過なく、健やかな幼年期だった。

以上