リンゴの季節がやって来た。
数ある果物の中でも一番の好物と言って良いだろう。毎年11月頃、自宅から一時間程の山間にある『リンゴ園』で、甘く香り高い『さんフジ』を賞味するのが恒例行事となっている。うっかり時期を誤ると、あっと言う間に売り切れるため、常に心の片隅に置き、今年も失念する事無く『旬』の訪れを認識した。
ある晴天の休日、馴染みの店に電話を入れ、在庫を確認した後、車に乗り込む。道中では目端に紅葉を捉え、秋の到来を感じながらドライブを楽しんだ。現地に到着すると、行楽の家族連れを含め結構な賑わいがある。まあ、自分は『買って帰るだけ』であり、長居をするつもりは毛頭無い。なるべく出易い場所へ駐車し、喧噪を避けつつ、足早に売場へ移動した。
『こんにちわ~』
『あ、いらっしゃい』
『今年も買いに来ました』
『何時もありがとうね。フジ?』
『はい、どれにしようかな』
『これ、傷物だけど安いわよ。味は変わらないし』
『あ、じゃあ、それで』
別段、贈答が目的では無い。自分が食べる分には無問題だ。即決で『お買い得品』を購入し、早々に立ち去ろうした時、一際甘い香りが鼻腔を擽る。周りを見渡すと、ログハウス調のお店に人だかりがある。どうやら農園のリンゴを使った『手作りアップルパイ』を販売している様だ。この後、急ぎの用事がある訳でもない。丁度、小腹も空いて居たので、これ幸いと道路を渡り、列に並ぶ事にした。
いざ、近寄ってみると思いの外、長蛇になっている。自分は『正面玄関側』から列に加わり、約10分後、ようやく店内に辿り着く。ショーケースに並ぶアップルパイは、スティック状でこんがりと良い焼き目が付き、見るからに『美味しそう』だ。種類も『ノーマル』と『カスタード』があり、中々に悩ましい。順番待ちの間、どれを買うか思案していると、店内で『もう一つ』の列と合流しているポイントを見つける。店は『正面玄関』の他にも入口があるらしく、其方から『並んでいる』と思しき一人の淑女がいた。そして、合流地点に差し掛かった時、その淑女と一瞬の交錯が起きる。何方が早く並び始めたか、お互い知る由も無い。この場合、『先』に行くべきはどっちだ?
『あ・・どうぞ』 迷わず譲る。
『え・・いや、別に』
『あ、はぁ』 ん? いいのか?
成らばと歩を進めた直後、
『・・何なの?』 淑女が辛うじて聞こえる声量で呟く。
『え? いや、どうぞ』 再度、譲る。
『あ、私は別に急いでないし・・』
『そうですか』 つとに進むが、不穏な空気が蔓延し始める。
『・・え? これどっちに並ぶの?』 また、小声で何か言ってる。
『ほんと、何なの?』 怒り心頭の御様子だ。
淑女は『正面玄関側』の列に並び直す。そして、自分の後ろに並ぶ紳士に問う。
『あなたも並んでいるの?』
『あぁ、良かったらどうぞ』 自分達の悶着を見ているだけに、習い譲っている。
『結構です』
そのまま、彼女は後方に姿を消した。いや、斯様な事になるのは、我ながら珍しい。気持ちの良い休日の筈が、とんだ『不運』に見舞われたものだ。そう憤りながらも、こんな時ほど『甘味』に頼るべきと『カスタード』の『焼きたて』を選択し、手に持ち店を出た。すると、先程の淑女が腕組みで直立し『あ~ぁ、完全に買う気無くしたわ。誰のせいかしらね?』と言わんばかりに此方を『凝視』している。いや、これ以上相手をする気は更々無い。視界に入れず早々に車へ乗り込み、押し込むようにパイを頬張り、ささっと農園を後にした。
帰りの車中、気が晴れず悶々と事の顛末に思いを馳せる。確かに優先順路は不明だ。自分が正しいと信ずれば『譲って貰う』のは、おかしい。我儘に捉えられては『心外』だろう。しかし、何故に彼女は帰らず、あそこへ待機していたのか。自分を威嚇するだけとは思えない。恐らく、あの後、店員に『何方から並ぶのが正しいのか』を問うたのではないか。そして、店の返答は『特に決まりはありませんが、出来れば正面側からお願いします』が、妥当と思われる。だが、あの気性なら、
『そおぉれなら、ちゃんと書いときなさいよぉ!』
『あれじゃあ、分からないわ! ええ! 分からないわぁ!』
『ひゃあぁ、た、大変申し訳ありませんン!』
『もう、二度と来ないわあぁ!』
と、なったのではないか、みたいな事を考えていたら、何だか笑ってしまった。きっと、アップルパイの効能に助けられたのだろう。偶には、こんな刺激のある休日も悪くはない。
以上