2-②.一般職員(録)

仕事

生まれて初めて、花束を貰う。特に嬉しいものでは無い。

4年間の修業期間を満了し、転勤となる自分への送別会が開かれていた。着慣れぬスーツにネクタイで、先輩・上司から激励の言葉を掛けられる。公私共に散々、ご迷惑をお掛けした身として、最後に何を言われるか怯えていたが、野暮な説教は無く、今までの微々たる貢献を、笑顔で労って頂いた。改めて『大人』の皆様に感謝しながら、『若造』の自分は、注がれた酒を、只ひたすらに、飲み干していた。

翌日、若干の頭痛を残しながら、荷作りをする。来た当初から、大して物は増えてない。片っ端から段ボール箱に詰め込み、忘れ物を最終確認する。ふと、屋上に張ったロープを思い出し、階段を駆け上がる。結局、一度も使う事は無く、既に朽ちていたが、手早く回収しながら、町を見渡す。あっと言う間の4年間だった。何方かと言えば、充実した日々の様な気がした。町を離れる感慨は薄く、実感も湧かぬまま、愛車のセドリックに乗り込み、新たな職場に向けてアクセルを踏み込んだ。

 

無事、故郷へ帰る。当初の予定通り、地元に支社が設立されていた。これからは、立ち上げ後の試運転に携わり、それに伴う要領書作成等に従事して行く。自分と同じく、今回のために採用され、各所へ散っていた人達が、一斉に参集していた。関連会社の出向者や、他所から来た精鋭の前では、この4年間で培った見識など、まるで役に立た無かった。それでも『自分が今やれる事』を探し、何とか必死に喰らい付いた。全てが初経験で、時間的な余裕は皆無であり、逃げ出したい位、多忙を極めたが、何事も『忙しい内が華』である事を後に知る。

 

それから、10年の月日が流れた。設備は安定運転に入り、業務も完全にルーティン化され、トラブルが無ければ、職場は安穏としている。今日も特に問題は発生して無い。周りの皆も、制御盤を見ると無しに、リラックスモードだ。自分は、何時の間にか『中堅』と呼ばれる立場になり、結婚もしていた。本来、やる気に満ち溢れている時期の筈だが、椅子に深々と腰掛け、まるで緊張感の無い表情で呆けている。完全に『生ける屍』状態だった。

『自分はこの10年間、一体何をやっていたのだろう』

この頃、よく頭を過ったセリフだ。この支社に来て、最初の頃は、まだ良かった。だが、設備に慣れてしまえば、後は営々と毎日、同じ事の繰り返しだ。それを嘆くのは『甘え』である事は解っているのだが、未熟な自分には現状を打破する方策が思い浮かば無かった。モチベーション・集中力を完全に失い、まったく仕事をしなくなり、その酷さは後輩からも批判が上る程だった。同じ所で、同じ仕事をしていれば、特化した経験を得て、最適化も進み、『楽』になる。だが、その分、応用力は向上せず、知見も広がる事は無い。何時しか『慣れ』は『怠慢』に変わり、誠意を失って行く。正に『楽は毒』だ。

『これ以上は精神的に病んでしまうか、会社を辞め兼ねない』その位に追い詰められていた。そんな時、上司から肩を叩かれる。

『2階に行ってみないか?』

2階とは『営業部』の事であり、機器管理が主業務の当社では、かなり『毛色が違う』部署だ。契約・収支に関わる、責任の重い仕事のため、『不人気』の職場と言って良かった。しかも、『不評』の理由は業務内容だけでは無い。原因は、この組織における『課長』の存在にあった。

この課長は、他社からの転籍組であり、プロパーとは根本的に思想が違った。会社の基本理念は『安全に運転業務を遂行していれば良い』だが、御方は兎に角、『売上』に拘った。本来、当たり前の事だが、これは当社の『常識』では無い。それでも、この方針を押し通すため、常に方々と揉め捲るのだ。その『手段』を選ばない、強引な手法は、誰の手にも負えず、全社は勿論、客先からも『蛇蝎の如く』嫌われていた。また、自分の考えに従わない部下には、一切『容赦』が無く、何人もの有望株が潰されて来た。

今回も『潰された』社員の替わりとして、声が掛かったのだ。そのため、異動勧告した上司は負い目を感じて、目を合わしてくれず、周りからも『人身御供』扱いだった。しかし、昨今の勤務態度からすれば、それも当然の事だろう。本来、返答は持ち帰るべきだったが、気付けばその場で、『分かりました』と即答していた。思わぬ快諾に、上司は安堵の表情で引き上げて行った。

 

同僚からは『自暴自棄』になったと揶揄されたが、自分は『変われるラストチャンス』と直感した。だが、事はそこまで『単純』では無かった。まだ、後に見る『地獄』を、この時は知る由もない。

以上