1-③.離別編

生活

差出人が明記されてない、一通の封筒が届く。

最初に見つける事が出来たのは、幸運と言う他ない。その内容は、到底、妻に見せられない内容だった。

『あなたは、しては行けない事を、やってしまいました。私達の関係は、もう親でも無ければ子でもありません。これを持って、縁を切らせて貰います。もう二度と会う事も無いでしょう。お元気で。さようなら』

遠い過去の記憶にある筆跡、送り主は『母親』と直感した。

この文面を見て即時、『遂に来たか』と構える。何故なら、この手紙を貰うだけの『心当たり』があったからだ。

 

自分は母親に『確執』があった。向こうは気付いて無いかもしれない。或いは一方通行の疑念だ。昔から彼女は『長男』の自分を『蔑ろ』にして、『次男』を立てた。弟は『勉強が嫌い』と言う理由で『高校』には、進学しなかった。母親は『反対』どころか、中卒で『社会人』になった弟を誉め称えた。そして、まだ『高校生』の自分を引き合いに出し、常に『穀潰し』扱いした。確かに『稼いでいる者が偉い』という事実は否定出来ず、理不尽な蔑みに対して『無言』で耐え忍んだ。その経緯もあり、就職してからは、長い間、実家に寄り付く事は無かった。それでも、7年後、ある程度、成人として自信も付き、久々に帰省する。流石に歓待されたが、今度は社会の『先輩』として、弟を『崇め奉る』様、仄めかす発言が多発した。相変わらずの扱いに呆れてしまうが、加えて一つ、確認が必要な状況が起きていた。

それは、母親の横に座る、『見知らぬ男性』の存在だ。

白々しく、何時まで経っても紹介が無い。此方から確認せざるを得ない雰囲気だ。業を煮やして、止むを得ず聞く。

『隣の方は、どちら様?』  まあ、想像はつく。

『え? ああ! 言って無かった? あなたの『お父さん』よ』

『聞いてねーわ』  笑ってしまった。

『3年前に籍を入れたの』  そんな前かよ。

『言おうと思っても、中々、帰って来ないし』  電話があるだろ。

『初めまして』  流石にバツが悪そうだ。まあ、この人に罪は無い。

『初めまして』  俺、どんな表情してるんだろ。さっさと帰ろ。

 

当然、弟は知っていた。長男に『一言も無い』とは・・まあ、どうでも良い。この日以来、実家には帰っていない。だが、事ある毎に『老後は、宜しく』と来る。長男という『負い目』の手前、『分かった』と返答する他無いが、大いなる違和感は常にあった。

それから数年後、人生の一大イベントを迎える。『家』を新築する算段となった。

妻と相談しながら、土地や間取り、予算等を順次、検討していく。そして最大の懸念である『同居』について、妻は『反対』の意向を示した。母親は空気が読めず、直情的で後先考えない言動が多く、数々の揉め事を起こした。その状況を鑑みれば、気持ちも理解出来る。自分も過去の経緯があり、新居に招く気にはなれなかった。だが、それ以上に同居を躊躇させたのは、子供に対する不安だ。幼少の自分を如何に扱って来たか、その暗い過去は脳裏に刻まれている。正直、娘に近寄らせたくなかった。

最終的に『誰の部屋とも分からない』一室を作る事にした。この先、どうするかは、自分に一任された。

 

3か月後、餅撒きが行われた。最近では珍しいかもしれないが、妻の両親に手伝って貰い、機械では無く、杵と臼で4時間掛けてついた紅白の餅だ。それだけに参集頂いた方々には、大好評だった。しかし、その場に両親の姿は無いまま、催しは終わる。

 

結局、家を建てる事を、母親には伝えなかった。

 

新築での生活が始まり、1年が経過した頃、封筒が届く。旧住所に送った年賀状や荷物が帰って来るのだ。気付くに決まっている。絶縁状を貰い、動揺したが、本心では『喉に引っ掛かっていた骨が、やっと取れた』様な気がした。変に刺激したくなかったため、『無言の了解』を返答とした。

 

しかし、その後、一度だけ電話がある。

『最後に言いたい事があったら、聞いてあげる。何かあるんでしょ?』

『何も無い』

 

これが、最後の会話となる。酷い息子だ。言い訳はしない。だが、今回の経緯で思う事もある。この世で『親のために生きようとする』のは、人間だけではないだろうか。他の生物において、親は子孫を残せば、お役目御免で、子供に世話を強要すること無く、後は朽ちるのみだ。自分も子供に、それを押し付けるつもりは毛頭無い。だが、当然不可抗力もある。この先、医療が進み『ボケ』が無くなり、『孤独死』しても、体にチップを埋め込む事で、心停止を確認し、業者が全ての処理をしてくれる仕組みが出来たら、誰にも迷惑掛け無いのにな。そんな時代が来る事を願いながら、今日も贖罪の日々を過ごす。

以上