『バンドやろうぜ!』 十年越しの念願である。
『轟音』の初体験は文化祭だ。偶々、暇潰しで見に行ったバンド演奏で大きな衝撃を受ける。『ズダダン!』『ヴァァアン』『ボンボボン』リハーサルの音合わせを聞き、度肝を抜かれてしまった。
平静を装っていたが『内心』は『凄え』の一言に尽きた。強いて興味の無い親友は、欠伸をしながら『俺行くわ』と去って行ったが、自分は体育館に一人残り、音楽を『全身』で聴く感覚にカルチャーショックを受けていた。
聞き覚えのある楽曲を熱演する同級生を眺めながら『何時か自分もやってみたい』と、強い願望を覚える。しかし、バンドには『同志』が必要だ。高校時代の仲間達は、そんな事に熱意と金を割いている余裕は無かった。卒業後も機会に恵まれず、想いは長い年月の間『棚上げ』となっていた。
そんな折、会社の後輩が気紛れで、ある『楽器』を買って来た。
『アコースティックギター』だ。
全くの『素人』が『大安売り』という理由で購入したは良いが、チューニングも合ってないギターを適当に掻き鳴らしても意味が解らない。止むを得ず教本を購入し、持ち主より真剣に『ギター』へ取り組み始める。
考えてみれば『アコギ』なら一人で出来る。『自分用』を求めて楽器屋に走り、『ギター』『チューナー』『ピック』を購入する。初めは『敷居が高い』印象を受けるが、道具はこれで揃ってしまう。加えて『タブ譜』で構成されている楽譜があれば、音楽的な知識も不要で、後は地道な『努力』あるのみだ。
それから一ヵ月後、『メリーさんの羊』で弾き語りの基礎を学ぶ。
二か月後、『とんぼ』でバッキングの曲を初完遂する。
三か月後、『男と女』でアルペジオの曲を初完遂する。
この頃、指はボロボロで、文字通り『ギターを抱いて寝る』日々を過ごした。
ギターに傾倒し一年が経った。その頃には『耳コピ擬き』も出来る様になり、あの『願望』が再燃する。
『バンドを組みたい』引いては『エレキギター』を弾いてみたい。その時、自分は既に30歳を過ぎていた。このタイミングで初めてバンドを組むのは、ある種の『勇気』が必要だ。しかし、最終的にはバンド結成への『欲求』が勝り、目ぼしい後輩を集めて宣言した。
『バンドやろうぜ!』
全員、未経験者であるにも関わらず、意外にも『快諾』を得る事に成功。『最大の難関』である『ドラム』も簡単に手は挙がり、遅咲きの『おっさんバンド』が始動した。
最初の課題曲は『NO NEW YORK』に決定。各々、自己研鑽に勤しむ。しかし、同時に『悩み事』を解決しなければならない。それは『練習場所』だ。
田舎に『スタジオ』は希少だ。そして、場所は遠く、料金は高い。頻繁に通うには現実味が薄い。しかし、田舎だからこそ出来る『裏技』もある。
まず、全員で山間の道を『空き家』を探して車で走り回る。発見次第、近隣住民に持ち主を確認して『借用交渉』した。地道な努力が実り『どうせ使わない納屋』の無料レンタルに成功して、条件は全て揃う。さっそく道具を持ち込み、普段出せない『ボリューム』で鬱憤を晴らすかの様に轟音を響かせる。あの『感動』は今も忘れる事は無い。
さて、レパートリーも増え、バンドの音も多少はマシになる頃『デビュー』の事を考え始める。とは言え、行き成り『ハウス』は『怖過ぎる』。『お祭り』の余興でもと、考えている時、
『今度、僕の披露宴でお願い出来ませんか?』と、後輩から出演依頼が舞い込む。
熟考の末、承諾するが、考えてみれば下手な『ハウスデビュー』より、遥かに『シビア』な状況である事に気付く。何せ、80人以上が自分達の演奏を『真剣』に聞いてくれるのだ。未曾有の緊張とプレッシャーに晒され、全員『頭真っ白』状態で演奏するが、初舞台の記憶は殆ど無い。構成は軽いオープニングジャムの後、新婦のリクエストを2曲演り、最後に新郎渾身の一曲で締めるというもの。これが評判になり、その後、全6組の披露宴を賑わした。
一通り、後輩達が結婚した所で使命も終わり、バンドは自然消滅。未だにギターとアンプは残っているが、もう触る事は無いかもしれない。だが、勇気を持って初めて良かった。やはり、音楽は『聞いても』『演っても』素晴らしい。何かを始めるのに『遅過ぎる』という事は無い。今後も『悔い』だけは残さない様、チャレンジ精神を忘れず、様々な出合いを大切にして行きたい。
以上