悴む寒さを覚えると、冬の雪山を思い出す。
若かりし頃は、粉雪が舞い始めると気持ちが高揚したものだ。倉庫より、埃が被った道具を持ち出し、ワックスを掛けて積雪を待つ。自分の『入り』は『スキー』だ。ゲレンデは比較的近隣にあったが、始めたのは20代前半である。初体験はバスのツアーで、会社の同僚に誘われたのが切っ掛けだった。『ボーゲンやってれば大丈夫』と言う荒い指導を真に受け、型だけは順守してトライしたが、急斜面の加速を抑える事は出来ず、見事雪塗れになったのが懐かしい。
あの当時は、今では少ないが『ナイター』があった。夜のため、当然、途轍も無く寒いが、照明による幻想的なゲレンデは一見の価値があった。また、人が少なく悠々と広く滑れるのもメリットの一つで、雪面を整地した直後のゲレンデは爽快と言う他無い。中々機会を作るのは難しいが、個人的には好んで行く事が多かった。
そして、20代後半頃、新たな『種目』が台頭し始める。『スノーボード』だ。最初は『フフン、あんなもの』と、硬派を気取り否定的だったが、スキーと違い、自由度が高いテクニックの数々を目の当たりにして、徐々に『惹かれ』始める。程無くして仲間内の一角が崩れ、あっと言う間に流行りに飲み込まれてしまった。
『スノーボード』のスタイルは、大きく分けて『エアー』『グランドトリック』『カービング』の三つだ。先ずは『エアー』に挑戦したが、率直な感想は『これは、怪我するな』である。小さなジャンプ台でも、恐怖心に打ち勝つ事は出来なかった。プロのジャンパーは本当にイカれてると思う。次に『グランドトリック』だが、比較的取っ付き易く面白いが、物凄く『疲れる』。下手をすると、1~2時間で燃え尽きてしまう。一日券を無駄にしては悲しいので、程々が肝要だ。最後に『カービング』は『滑り』に拘るスタイルだ。如何に美しい『シュプール』を描くか、スキー出身の自分はこの路線が腑に落ち、これを突き詰める事にした。
また、この頃、仲間内で競争になったのは『スノーボード検定』である。有料で受験し、合格すれば『認定書』が貰える。1級がインストラクタークラスと言われ、一般的には2級が難関であり、目標だった。皆『シーズン券』を購入し、躍起になって修練に励んでは、落第を繰り返していた。今思えば、見事『思惑』に踊らされていた事に気付くが、あの楽しい時間と引き換えであれば無問題だ。
加えて、自分はもう一つ挑戦したい事があった。それは『テクニカルコンテスト』に出場する事だ。しかし、田舎ではコンテスト自体が中々開催されない。何時か、そのチャンスに巡り合う事を信じて、15回/月はゲレンデに通い研鑽していた。そして、遂に、とあるスキー場のホームページで大会開催案内を見つける。すぐさま申し込みを完了し、試合へ備えた。因みに無残な結果を想定していたため、仲間には内緒で参戦した。
緊張で迎えた、当日の順位は10人中、5位だった。我ながら『大健闘』だろう。しかも、大会後の表彰式で『ベストコーディネート賞』に当選した。必ず全員が何かを受賞するという、主催者側の『温情』ではあるが『手ぶら』より遙かに良い。この大会は、ビデオカメラで撮影されており、そのDVDが人伝で仲間の手に渡り、結局、出場がバレて自分の演技を具に駄目出しされたが、それも含めて良い思い出だ。最近では『寒さ』に打ち勝つ事が出来ず『今年こそは』と思いながらも、行きそびれるのが、毎年の恒例となっている。
昨今、スキー場は『閉鎖』の一途を辿っている。近隣でも最大手のゲレンデが破産してしまった。当然『温暖化』の影響だろう。昔は雪が膝まで積るのは当たり前で、『竜巻・雹・津波』は滅多に見ない異常気象であり、熱射病など都市伝説だったが、近年では往々にして起きる現象だ。自然は散々裏切り続けた『人間』とは、もう『遊んでくれない』のかもしれない。留まる事を知らず加速していく『便利』さは、この先、何を持って良しとすべきなのだろうか。
以上