昭和の通話手段は『電話』しか無かった。
今思えば、これは物凄い事だ。家族と共用で子機も無く、プライバシーもへったくれもない。電話線が届く範囲で影に隠れ、声を潜めて会話するのだ。家に居なければ『音信不通』となり、生死も分らない。待ち合わせとなれば『場所』と『時間』の厳守は絶対だ。うっかりすれ違えば、出会うのは困難極まりない。とは言え、強いて不便を感じた事は無かった。そもそも電話自体をあまり使わなかった気がする。『今なら、あそこにいるだろう』『どうせ家だ』と、決まった顔は何と無く集合出来ていた。昔は『遠いようで近い』、今は『近いようで遠い』、何方が良いのか分からないが、そんな時代の過渡期において、革命的な機器である『携帯電話』が登場する。
当初、懐疑的な存在だったが、電波範囲が拡大し、常識的な料金設定が普及するにつれて、爆発的に需要を伸ばし始める。当然、自分を含め、仲間内でも当たり前の様に『携帯』していた。しかし、実際に持ってみると、あまり『便利』さを感じない。何せ『電話』に頼らない生活が身に着いている。各々、携帯の着信音は滅多に鳴る事はなかった。
だが、一つだけその『存在意義』を決定付ける機能があった。『電子メール』である。何も『メール』で連絡が取り易いという理由では無い。その頃、メール機能を使った、ある『サイト』が大流行していたのだ。それは『出会い系』である。
あの当時『サクラ』は少なく、出会うほぼ全てが、純粋にコミュニケーションを楽しむ一般女性ばかりだった。基本、男性は『有料』だが、サイトには必ず『無料期間』があり、その間を過ぎれば無数にある別のサイトを使う事で、男性も実質無料だった。只でさえ出会いの少ない田舎者には、この上なく有難いツールと言えた。
このサイトを利用し、隣県までも行動範囲に入れ、仲間内で協力し合い、数々の遣り取りを楽しんだ。鳴らなかった携帯が引っ切り無しに鳴るのだ。こんな最高の『暇潰し』は、他に無かった。
然れど、何事もいつかは『飽きる』。一通り世界を堪能すると、倦怠期がやって来る。こうなれば、若かりし頃は、まず碌な事を考えない。新たな『刺激』を求め、ターゲットになったのは、仲間内の『モテない君』だった。
この彼は、鉄砲を数打っても『当たる』事は無く、彼女いない歴は更新される一方だったが、それでも諦めず、日々、サイトで『アタック』を繰り返していた。そんな状況を尻目に、親友の眼光が怪しく光った。
『おい』 親友が声を潜める
『あん?』
『彼奴、どこのサイトやってるんだ?』
『は? 〇〇じゃね? 何で?』
『そうか』 嗤っている。悪い顔だ。
いそいそと親友は、携帯を弄り始めた。最初は気にも留めなかったが、後日、あの『悪い顔』の意味が判明する。
『おい! 聞いてくれ!』 モテない君が上機嫌だ。
『なに?』
『最近、出会った子とメッチャ感じが良いだよ!』
『へえ、そうなんだ』
『俺の事、凄い分かってるというか、趣味も合うんだ!』
『そんな事もあるんだね。良かったじゃん。頑張りいや』
『おう! サンキュー!』
意気揚々と去っていく。入れ替わりに親友が近寄って来る。何か笑いを堪えている様に見える。
『おい』 あ、完全に笑った。
『何だよ。気持ち悪いな』
『あれ、俺だ』
『は?』
『彼奴の『思い人』は、お・れ・だ』
『なにぃ?!』
どうやら、親友はサイトの『女性用』窓口から入り、『モテない君』に自らコンタクトを取ったらしい。所謂『ネカマ』だ。そりゃあ気が合う筈だ。当然、彼の思考と嗜好は心得ている。1週間程掛けて、完全に『落とした』様だ。
『彼奴は、俺に『ゾッコン』だ!』 何て楽しそうなんだ。
『お前、ヒド過ぎ・・』
『今度、隣県のある駅で待ち合わせなんだ。来るか?』
『・・行く』
このショーを見逃す訳には行かない。待ち合わせは、夜の9:00だ。絶妙に期待が高まる時間設定だ。勿論、そこで『ドッキリ大成功』ではない。見所は『いつまで待つか』だ。そして、駅前に彼の車を発見する。此方も死角に駐車して動向を監視した。
『あいつ、何時間待つと思う?』
『結構、待つだろぉ』 ゴメン! メッチャ楽しい。
1時間経過した頃、着信がある。『どうしたの?』 勿論無視する。
2時間後、『もしかして、事故じゃないよね』
3時間後、『突然、仕事になったのかな? 今日は帰るね』
振られたという発想は無いのか。中々に逞しい。記録は3時間30分だった。親友への『愛』は、本物という事を見事に証明した。しかし、彼も大概だが、それを最後まで見届ける自分達も相当だ。
『結局、会えなかった。しかも連絡が取れない・・』 酷く落ち込んでいる。
『そうかぁ、残念だったなぁ』 悪魔が慰めている。
『ホントに好きだったんだァ!』 あ、泣いた。
『また、必ず会えるさ・・』 顔を背けている。絶対笑ってるだろ。
その後『モテない君』の中で、親友は『永遠の想い人』として、ランキングのトップに刻まれた。今更、彼の素敵な思い出を壊す権利は誰にも無い。この事実は『墓場まで持って行く』それが友に対する最低限の『礼儀』だろう。
以上