2-⑥.一般職員(録)

仕事

『主任』になる。遅くもなければ、早くもない。

特に何が評価された訳でも無く『年功』で昇進した。役職は付いたが、現状と何一つ変わるものは無い。とは言え、モチベーションは上がる。サラリーマンの悲しいサガだ。それから数日後、取り敢えずの通過儀礼で『主任研修』を受講するため、本社へ赴く事になった。

 

『皆さんは今迄と違い、責任ある立場になりました』 講師冒頭の挨拶だ。

その後、お定まりの内容を粛々と消化する。眠気との闘いに閉口しながら、何とか講義を終え、ある意味、講習の本番と言える懇親会が始まった。

この時点では、出世にそう『差』が付く事は無い。今回、参集した者の多くは『同期』であり、それに加えて本社の役付が出席していた。各々、気心知れた者の隣に座り、自分は特に拘りなく適当に席へ着く。その偶々選んだ場所は、図らずも『常務』の隣だった。

 

『今日はどうだったね』 常務が話し掛けて来た。

『はい、大変勉強になりました』 どこがって、聞かれません様に。

『フフ、まあ儀式と割り切ってくれれば良い』 お、話が分かりそうだ。

それからは酔いも手伝い、一方的に思いの丈をぶちまけてしまう。それはある種、『経営批判』と取られても仕方の無い内容だった。常務の顔付も徐々に険しさを増して行く。そして一言、

 

『君の名前は、覚えておこう』 プライベートのトーンでは無い。

『あ、は、はい』 しまった。調子に乗り過ぎたぁ。

 

自所に戻った後、本社からの『クレーム』に怯えていたが、一先ず音沙汰は無く胸を撫で下ろす。そして、所内では、とある異変が起きていた。あの『課長』が、長期の休暇を取得したのだ。仕事の『鬼』である御方にしては、かなり『稀』と言える。理由は『バカンス』では無く『体調不良』だった。どうやら『膠原病』を患っているらしく、原因が特定できぬまま、入院に至っていた。

課長が休暇に入ってから、部署内は完全に『リラックスモード』だ。殺伐とした職場も息苦しいが、この弛緩した空気にも違和感はある。御方の存在が如何に絶大かを痛感するが、居ない也にも仕事は廻る。この現状を鑑み、大義名分を持って『所長』が動いた。

今迄、課長に『存在感』を消されて来た所長からすれば、絶好の『チャンス』だったのかもしれない。満を持して、ある人事を『発令』する。2週間後、課長が休暇から戻り辞令が下った。それは、

 

『副所長に任命する』だ。

 

勿論、文句無しの出世だ。しかし、当社の『副所長』とは、ラインから外れ『部下』も『実権』も無い、単なる『名誉職』だ。体力的不安による負荷低減を理由に、事実上の『窓際』へ追いやる意図は明確だった。

 

それからの課長は、一気に『覇気』を失って行く。孤立した席で一人、パソコンと向かい合う日々を過ごした。副所長に就任して以降、あの怒声を一切聞く事は無く、会社も休みがちになり、正に空気の様な存在になっていった。対照的に職場の雰囲気は見違える様に活性した。これは『自業自得』なのだろうか。サラリーマンの『悲哀』を目の当たりにし、複雑な心境を抱きつつ、それでも日々業務の完遂に邁進した。

 

そして、半年後、課長は『辞表』を提出した。会社側も引き留める事無く『受理』する。本人の強い意向で『送別会』は見送られた。本当にあっけなく、静かに会社を去って行った。確かに『問題視』される部分はあったかもしれない。しかし、あれ程、会社に貢献した者への仕打ちがこれでは、余りにも報われない。周りは『厄介者』が消えた安堵感に包まれていたが、自分は一人、憤りを感じずにはいられなかった。

 

それから三か月後、朝刊を見て衝撃を受ける。

『〇〇氏、国の補助を受け、事業を設立する』

課長だ。何時の間にか国を動かし、自ら事業を立ち上げていた。そうか、一人パソコンへ向かって作成していたのは、この資料だったのか。そうだよな、あれで終わる筈が無い。この人は、一生『仕事人』だ。紙面に映る『活力』溢れる姿を見て、何故か純粋に喜びが溢れた。

 

新聞の記事を切り抜き、自宅机のフィルムへ保管する。『・・必ず、超えて見せる』かつての忌むべき上司は、何時しか、目標へと変貌していた。

以上