2-⑦.一般職員(録)

仕事

御方が退職して、1年が経過していた。

新しい課長の下、体制や業務手順は改定され、職場の雰囲気も変わり、以前とは全くの別世界になっていた。だが、その頃、一番の変貌を遂げたのは『自分』だったかもしれない。

今迄は御方の機嫌を伺い、あの人が『納得』する答えが全てだった。狭い感覚の中、まるで『操り人形』の如く業務を遂行していた。しかし、その束縛から解き放たれ『己の感性』を判断基準として全体を俯瞰する様になり、叩き込まれた『プロ意識』は他の追従を許さず、何時しか部署を『牽引』する存在へと成長していた。そんな折、協力会社の『部長』より、切実な相談を受ける。

 

『何時も、お世話になっております』

『いえいえ、此方こそ、お世話になっております。』 随分と深刻そうだ。

『この度、長期の設備補修があるとお聞きしまして』

『ああ、はい。ございます』

『その間、当方は何をすれば良いのでしょうか』

今年度は老朽化が進む設備を一新するため、約半年間に渡る設備点検が実施される。故に、全機器が『休止』となる。協力会社は『運転中』の設備清掃が主業務であり、点検期間中における『食い扶持』に困窮している様子だった。

『半年間仕事が無ければ干上がってしまいます。何とかなりませんでしょうか』

『分かりました。考えてみます』

 

部長には、これまで一方ならぬ『御恩』がある。それは仕方のない事と『見捨てる』訳には行かない。上長は何時も通り当てに成らず、今まで培って来た『人脈』を頼りに、当社では例の無い『営業活動』を展開した。普段、関わる事が無い『場所』『箇所』において、他社が費用上『非効率』と嘆いている業務を一手に引き受けて廻った。受注後、数ある小さな仕事を『統合』⇒『効率化』した結果、新たな業態を形成する事に成功した。

この新業務は協力会社において、不動の『安定収入』となり、当社にも年間数千万円の純利益を齎した。しかし、悲しいかな、自ら『創造』する概念が会社に無いため、成果は一切『評価』される事無く看過の憂き目に合う。これを皮切りとして、業務方針における『価値観』の違いで、度々苛まれていく事になる。

 

以後、会社を頼りにせず『俺がやるから黙っとけ』と言わんばかりに、孤軍奮闘の日々を送る。まるで、あの『御方』を彷彿させる様な立ち振舞いだったかもしれない。組合においても、委員長として、数々の『労使交渉』を繰り広げる。全て『正論』であったと自負するが、常に正論が答えとは限らない。若気の至りは会社側の『反論』を許さず、不要に追い詰め、人事に暗い影を落とす事になる。

 

『ちょっと、いいか?』 所長より、声が掛かる。

『はい、なんでしょう』 何だ、この忙しい時に。

『今度、運用部に行って貰おうと思う。これは管理者会議で満場一致の決定だ』

『え?! 運用部ですか?』

『そうだ。そこでリーダーをやって貰う。期待してるぞ』

『・・は、はい。分かりました』

『運用部』とは、運転担当の助勢をする部署であり、基本的にやる事が無い所謂『閑職』だ。そんな所へ送り込んで『期待している』とは、どう言う了見だ。激しい憤りを覚えるが、これまで噛んだ砂は辛酸で流し込み、会社の意向に『NO』を言わない事を『矜持』にやって来た。きっと自分次第でどんな環境も変えられると信じて、ここはグッと耐え忍んだ。

 

運用部では『時間がある』事を逆手に、他部署の有志へ呼び掛け『ワーキンググループ』を発足した。人員削減が進む中、お互いの業務を助勢し合う『総合運用』に着手した。パワーポイントを作成し、所長答申を行い、改革を推進する事で『意地』を見せ付けた。しかし、次の展望は無く、真綿で首を絞められるが如く追い詰められ『生ける屍』だった頃がフラッシュバックする。『最早、これまでか』と思われた時、再度、所長より『呼び出し』があった。

 

『失礼します』

『おぉ、来たか』

『・・何でしょうか』

『うむ。異動の話が出ていてな』

『異動、ですか・・』 何処へ飛ばそうと言うのか。

『ああ、本社の常務から要請があってな。私が君を推しておいた』

『本社、ですか?!』

『うむ、総括グループへの異動だ。常務は『即戦力』と期待している』

 

あの言葉が瞬時蘇る『君の名前は、覚えておこう』。常務は現状維持の社風を憂い、各所から『精鋭』を呼び集め、全社的な『改革』を目論んでいた。後に聞くと、自分の異動は常務からの指名であり、意見聴取など一切無かった。それにしても、いきなり『総括グループ』とは驚きだ。会社の中枢部で、自分は一体何が出来るのだろうか。数々の懸念は絶えないが、当然『お受け致します』と即答した。

 

入れ替わる様に『組合』の本部委員長より、電話が掛かる。

『話は聞いたかね?』

『はい、お聞きしました』

『君は支部委員長だ。断る事も出来るが?』

『いえ、お受けさせて頂きました』

『そうかね。なら良かった。それと、』

『はい、何でしょう』

『この際、本部の三役に就任しないか』

『え?! 三役ですか?』 出来るか? 本社業務と並行で。

『うむ、組合としても、尽力願いたい』

『・・分かりました。微力ですが、ご協力します』 ええい、皿まで喰ったれ。

 

際どい所で線は繋がり、全てにおいて予期せぬ『急展開』となったが、完全に行き詰っていた状況からすれば『僥倖』以外の何物でも無い。本社で自分の実力はどれだけ通用するのか。何時の間にか『暗雲』は吹き飛び、新たな舞台が目の前に現れていた。期待と不安が入り混じった、次章の幕が上がる。

以上