その一画は、やたらと格式高い雰囲気に包まれていた。
本日より『本社』勤務となる。この地方では、最も『都会』に位置する場所であり、親会社とグループ企業のビルが同じ区画内で隣接しているため、かなり大規模な会社の集合体となっていた。取り敢えず近寄ってみるが、まず『正門』が分からない。警備員に受付場所を確認し、そこで仮の入館証を受け取り、何とか敷地の中に辿り着く。セキュリティは厳重で、扉の度にカード認証があり、会社の中枢に来た事を強く実感出来た。
自分の会社は『3号館』だ。前以って場所は聞いて居たが、方向音痴が災いし、建物の特定に思わぬ労力を要した。玄関口では、何処か風格ある様相を目の当たりにし、少々帰りたくなったが、意を決してその境界線を踏み越え、足早に歩を進めた。周囲から発せられる『誰?』の気配を尻目に、本日の終点である『常務』の席に到着した。
『ご無沙汰しております。本日、着任致しました』
『おお、着いたか』
『はい、宜しくお願い致します』
『ん、早速だが、前任から引継ぎを受けてくれ』
『了解致しました』
まずは『安全品質管理』の業務を受け持つ事になる。引継ぎ時間は30分程度だった。概要のみ聞き取り、後は過去実績を辿りながら、即実務だ。
『・・ってとこだ。OK?』
『はい、了解しました』 いや、殆ど分からん。
『じゃあ、俺も次があるから行くぞ』
『はい、お疲れ様です』
早速、資料を漁り『今やるべき事』を纏めに掛かる。すると、
『あの、お疲れ様です』
『あ、はい。お疲れ様です』 ん? 本社の女性社員だ。
『私、契約・経理担当の者なんですが・・』
『はい』
『引継ぎしても、よろしいでしょうか』
『え? あ、はい』 あら、マジか。
それは聞いてないぞ。狼狽しながら、簡素な引継ぎを受ける。
『・・です。よろしいでしょうか?』
『はい、まあ、何とか』 これはヤバい。理解が追い付かない。
『では、私も離任致します』
『はい、お疲れ様です』
えっと、どこから手を付けよう。そう混乱していると、
『お疲れ様です』
『あ、はい。お疲れ様です』
『私、教育・庶務担当の者なんですが・・』
『はい』 嫌な予感がする。
『この度、産休を取得する事になりまして』
『ああ、そうなんですか』
『引継ぎしても、よろしいでしょうか』
『・・どうぞ』
またもや簡略な引継ぎを受け、都合、3人からの業務がイキナリ降り掛かる。だが、これで終わりでは無かった。
『お疲れ様~』
『あ、疲れ様です』 これまた実権ありそうな『お局様』風の人が来た。
『今度、来た人?』
『はい、宜しくお願いします』
『よろしくね。今、当社は新しいシステム構築に着手してるのは知ってるわよね?』
『えぇ、話だけは』
『一応の完成をみたんで試運用に入るんだけど、各所からの質疑に応えてね』
『え! 自分、構築に一切関わってませんが?』
『今から勉強すればいいでしょ!』
『う! わ、分かりました』 システムとか一番の苦手分野だぞ。
あ~・・まあ、一先ず業務は置いておこう。何せ、まだ『総括グループ』のメンバーと挨拶すらしていない。出社から2時間で早くも疲弊しながら、ようやく自分の席に着く。常務が目で点呼を取り、全員が集まったのを確認して音頭を取った。
『じゃあ、部長から自己紹介しようか』
『部長の〇〇です。宜しく!』 実質、この部署を支える人だ。
『マネージャーの〇〇です。宜しくお願いします』 何と、同じ高校の大先輩である。
『課長の〇〇です。宜しくお願い致します』 当社きっての遣り手らしい。
『担当の〇〇です。宜しくお願致します』 本社生え抜きで実務は彼の知見が頼りとなる。
『本社経験は無く、御迷惑をお掛けするとは思いますが、宜しくお願い致します』
『では、今後このメンバーで全体を取り仕切って行く。皆さん、宜しく!』
『宜しくお願いします!』
一通り簡単な挨拶を終え、即座にパソコンにかぶりつく。誰一人、余裕の欠片も無い。本社では、各々が『商店』を取り仕切っている様なものだ。完全なる『縦割り』の世界に甘えは許されない。この日は辛うじて『想定の範囲内』に収まったが、激動の日々は、まだ始まったばかりだった。
以上