それは、キンモクセイが香る秋の夜だった。
体を動かすには、良い季節だ。日課の自転車通勤で、終業後、心地よい風に吹かれながら、何時もの道で家路に着いていた。
既に、夜の帳は下りている。田舎の道は細く暗い。街灯も疎らで、道中は自転車のライトを頼りに、進むしかない。
山道は『お客さん』と遭遇する事も珍しく無い。特に猪は出会う確率が高く、突撃を食らえば、只では済まない。その日も『思わぬ奇襲』に遭わない様、警戒を怠らなかった。
『ガサッ』
草陰から、何か飛び出す。全身に電気が走った。思わずハンドルを切る。
大いに焦ったが、良く見ると、その物体から『危険』は感じない。今夜のお客さんは『たぬき』だった。
そして、道路に飛び出した後、自分の前を『何食わぬ顔』で、軽快に走り始めた。図らずも自転車で、『たぬき』を追走する形になってしまった。
中々、太い奴だ。普通、人間と鉢合えば、驚き、山中へ逃げるのが道理だ。思わぬ先導の登場に困惑しながらも、暫し帰路を共にする事とした。
5分は走っただろうか。まだ、『たぬき』は前に居る。『いや、こんな事ってあるか?』少し不安が募る。迷信深い方では無いが『化かされる?』と、この暗い夜道で、何だか気味が悪くなって来た。
『付き合いも、これまでだ』 意を決して、追い抜く事にした。
まず、右から抜く事を試みる。自転車のハンドルを右に切った。すると、前を塞ぐ様に『たぬき』も、右へ進路を変更する。
『何?!』
じゃあ、左だ! 今度は左へハンドルを切る。 瞬時に『たぬき』も、左へ進路を変える。
『何で?!』
後で冷静に考えると、ハンドルを切れば、自転車のライトも進行方向を照らす。『たぬき』は、動物の本能で『光』の向く方へ走っていた。
しかし、この時は疑心暗鬼となり『化かされる!』が、気持ちの中で具現化する。
全力でペダルを漕ぎながら『右』、『左』、『右』 依然『たぬき』は、正面に居る。
『退いてくれぇ!』 『ガガガガガガ』 『キャウン』 『あ・・轢いてもた』
前・後輪で手応え有り。後ろから、真っ直ぐ踏んでしまった。
いきなり『思わぬ奇襲』を受けた『たぬき』は、脱兎の如く逃走した。
『たぬき』からすれば、只、普通に走っていただけなのに、人間が『何食わぬ顔』で、鼻歌交じりに自分を踏んで行ったと、解釈した事だろう。
『こ、こいつ、なんちゅう無茶しよる・・』と、思ったに違いない。
いや、待ってください。誤解です。そんなつもりじゃなくて、ベストは尽くしたんです。自分も気が動転してまして、『ブレーキ』とか判らなくて・・お願いだから、化けて出ないでね。
今後もし、『たぬき』と『人間』の関係性が悪化したら、或いは自分にも、責任の一端があるかもしれない。
以上