2-⑨.一般職員(録)

仕事

やはり現場と比べ、本社は華やかな職場と言えるだろう。

何せ『女性社員』が過半数を占めている。高校時代から女っ気の少ない人生において、この状況は『未知数』以外の何物でも無い。異動前、元本社の女性社員に心得を問うた所『髪・髭・爪・襟・靴』の清潔感は絶対である事を伝授され、まずはその厳守を心掛ける。そして、仕事に対する心構えとして掲げたのは『何をしたらいいですか』この言葉を絶対に吐かない事だ。出社前、これらを強く胸に誓い、気負い捲りの初日を迎えた。

 

『おはようございます!』 せめて挨拶だけは元気良く。

『おはようございま~す』 周りから一瞥も無いお返しだ。

 

我ながら空回りを感じつつ、席に着く。よおし!・・何しよう。いやいや、そう言えば、前任から『やるべき仕事が残っている』と引継ぎがあった。パソコンを開き、前年度の実績を追う。成程、全所を周り、その安全対策等について監査を行う業務の様だ。うん、最初の仕事としては手を付け易い部類だろう。一先ず、入りの仕事を見つけて安堵していると、始業の鐘が鳴り、朝ミーティングが始まった。

 

『おはようございます』

『おはようございます!』

『各々、本日の業務予定を報告してください』

『はい、本日は、・・』

一人一人、手持ちの業務を周知する。そして、自分の番が来た。

『まあ、君は分からん事も多いだろう。今週は資料を読んで、ゆっくり雰囲気に慣れてくれ』

『・・いえ、全所の安全品質対策状況の監査業務を行うため、関係資料を作成します』

『各所への経路や出張報告等、不慣れなもので、またご教授ください』

『あ・・そう、ふ~ん』 大丈夫?って雰囲気だ。

 

通常、最初の一週間は『契約書』や『関係資料』等を読み漁るのが通例の様だ。しかし、自分はその時間に全く意味を感じない。何に基づき必要な情報かを理解せず、表面上だけ丸憶えしても、それは『死んだ知識』だろう。実務を熟す中で、都度、必要な分だけ見聞きすればそれで十分だ。そもそも全部記憶出来る程、頭が良くない。周りの心配を余所に、資料作成と並行して全所の管理職へアポを取る。粗方の調整が終わり一息付いていると、山の様な資料を整理している女性社員の姿を見掛けた。

 

『お疲れ様です。お手伝いします』

『え?』 誰?って感じだ。

『この度、異動してきた者です。何の資料ですか?』

『あ・・最近立ち上げた、新システム関係の手順書です』

『おお、これのアンサーライン依頼されてまして、関わらせてください』

『・・はぁ、どうぞ』

 

数十枚の紙を一つに纏め、ホッチキスで止めて本にする。この単調作業を熟しながら、せっかくの機会と思い、慎重にコミュニケーションを試みた。

 

『このシステム、お詳しいですか?』 なら、ぜひ教えを請いたい。

『いえ、私は殆ど関わってないです』

『なるほど。では、どういった類の仕事に従事されてますか?』

『私は庶務関係です。こういった雑務、コピー、お茶汲みとかですね』

 

この時、あるワードが引っ掛かる。『お茶汲み』だ。自分は本社で学びたい事の一つとして、これに目を付けていた。お客様が来た時、男がお茶を入れ、お盆に乗せて出す。当社で、この姿を定着したい野望があった。今の時代『男女平等』と言う観点があるが、それとは無関係にまず自分がやってみたかった。加えて、この『解ってる風』な姿勢が、対外的に大きなインパクトを与える可能性を感じていた。

 

『お茶の入れ方、教えて頂けませんか?』

『はいぃ?』

『やってみたいんです』

『はぁ、まあ良いですけど・・』 変なのが来たなぁ、みたいな顔してる。

 

製本作業を終え、台所へ行く。そこには道具一式が並び『お茶の入れ方』が張り付けられている。置かれてる茶葉は『玉露』だ。流石にお客様用は高級品である。

 

『まあ、そこに書いてある通りなんですけど、』

『はい』

 

それから慣れた手付きで、一通り手順を追って実演する。『急須に定量茶葉を入れる』⇒『茶碗にお湯を張り温める』⇒『そのお湯を急須に入れる』⇒『一定時間茶葉を開く』⇒『お茶を濾して茶碗に注ぐ』だ。確かに難しい箇所は無い。だが、茶葉の量・開く時間・注ぎ方等で、味は全くの別物になる。彼女の入れたお茶は『澄んで』『甘い』が、自分のは『濁って』『苦い』。う~ん『お茶汲み道』深し。

 

『ありがとうございました。精進します』

『いえ、どういたしまして』

 

新たな課題を抱え席に戻る。すると、何時の間にか定時を迎える時間になっていた。明日のために、慌ててメールの処理に取り掛かる。少し目を離せば、直ぐに履歴は山積してしまう。辛うじて整理出来たタイミングで、終了ミーティングが始まった。

 

『では、本日の業務実績を報告してください』

『はい、本日は、』

順次報告を終え、終業の鐘が鳴る。まだ、自分に残業する程の業務は無い。定時で会社を後にして、人混みの中、帰路へ着いた。

 

 

歩きながら放心状態で初日の余韻に浸る。感想は、一言『疲れた』。慣れない環境に疲労が倍増しているのだろう。これが当たり前になるまで、今は耐えるしかない。仕事を終えても頭は解放されぬまま、焦りと不安で晩飯すら億劫に感じていたが、まるで根拠の無い手応えに、心は不思議と高揚していた。

以上