2-②.再起編

生活

離婚してからは取り決め通り、2回/月程度、娘達に遊んで貰っている。現在の生活において、絶対に欠かせぬ大事な行事の一つだ。当初は金銭面でかなり困窮しており、如何に節約して二人と楽しむか、相当頭を捻ったものだ。

先ずは『ご飯』だが、低予算でなるべく美味しい物をと自炊にチャレンジした。しかし、結果は燦燦たるもので、おもてなしとは程遠い無残な出来き映えに我ながら愕然とする。それでも気を使い完食する二人を見て、居た堪れなくなり、前妻の両親にお願いして晩御飯は家でご馳走になった。朝は冷食のピザやパンで、昼はチェーン店の牛丼やハンバーガーとした。まだ年端も行かない子供達は『美味しさ』より『楽しさ』に喜ぶ。安くても『おもちゃ』付の店を選ぶ事が得策だと分かった。

次に『何をして過ごすか』だ。基本的に女子と遊ぶのは苦手分野になるが、取り敢えず頼りになるのは『公園』である。近隣の大小様々な公園に足を運び、汗だくになって一緒にハシャぎ回った。サッカーボールとフリスビー等があれば尚良しで、パス回しに飽きたら、遠投やペットボトルを使ってのボーリングは結構盛り上がる。但し、帽子・着替え・タオル・水分が必須なのは言うまでも無いだろう。

お散歩がてら、草花が生い茂る場所で『四つ葉のクローバー』探しも楽しい。心なしか、昔に比べ見つけ易い様に感じる。加えて、シロツメクサで王冠を作ったりすれば、時間を忘れてつい熱中してしまう。夏は浜辺で『シーグラス』を採取した。前妻は『フリマ』が趣味のため、その時に娘達も売る物があれば退屈しないと言う発想からだ。まるで『宝探し』の様な感覚は、中々に燃える。秋はドングリ拾い⇒独楽作りも定番だろう。

そして、女子最大の喜びは『お買い物』かもしれない。どれだけ『お金』を持たせるかは、大事な教育の一環だろう。自分が安易に『お小遣い』を渡す訳には行かない。その分、好きな物を買ってあげたいが、先立つものが無いとくれば、頼りになるのは『百均』と『量販店』である。やはり、このイベントにおける女子のパワーは目を見張るものがある。費やす時間とエネルギーが他の遊びを圧倒している。油断すると買い物カゴはあっと言う間に一杯となり、買った物の多くは『お持ち帰り』になる事も屡々だ。

会話やゲームに自信があれば『ドライブ』も良いだろう。だが、間が持た無くなれば一気に『退屈』が爆発するため、注意が必要になる。近々『道の駅』巡りを計画中だ。

また、Line交換は必須と言える。直接連絡を取れれば、些細な誤解が致命傷になる事もない。また、時折送信される『だいすきだよ ほんとにだいすきだよ』等の有難い言葉には、心底救われる。

長女が『美術部』に入部した。近隣の公共施設に作品が展示されると聞き、見学に行く。自分が書けるものを組み合わせ、別の形にする発想の絵だった。『画力』では無く『統合力』で勝負するあたり『フフ! 父さん似だな!』と、勝手にご満悦。

次女が『機械体操』を始めた。デビュー戦を二階席上段でひっそりと観覧したが、低学年と侮るなかれ、しっかりと『演技』だった。競技会が終わった後、自分の存在に気付く事無く家族と楽し気に帰る姿を見て、何だか寂しい様な、少し安心する様な、、

 

そうこうしている内に、もう3年が経過している。未だ、このコミュニケーションが途切れた事は無い。だが、そう遠くない未来、必ず消えて無くなる楽しみと言える。寂しい事だが、その分、娘達が自立している証だろう。自分にとって、二人の存在は闇夜を照らす『月』だ。重荷に成らぬ様、近からず遠くない距離を保ち、その成長を陰ながら見守って行きたい。

以上