1-②.離別編

生活

壊れて飛散した破片を集める様な日々を送った。

元通りには戻らないと確信しつつ、それでも足掻き、時には分かり合い、そしてまたすれ違う。次第に気持ちは離れていった。

『自分に逆らってはいけない』、『自分の言う事は絶対だ』、この思いが強すぎて、反論を許す事は出来なかった。直接、手を出す事は無い。だが、容赦のない罵倒や侮辱は日常茶飯事だった。全て些細な理由だが、分かっていても止められず、諍いの度に物が壊れた。今でも家には、その痕跡が残っている。

冷蔵庫の凹み。 引き戸は穴。 床に傷。  天井へ染み。 見たくは無いが、直す気にもならない。まだ、戒めを解くには、早過ぎるだろう。

 

この時期は、仕事も過渡期で余裕が無く、自分自身も精神的に追い詰められていた。タイトロープの上でゆらゆらと、何時落ちても不思議ではない状況にあったが、妻を貶める事で、自我の崩壊を堰き止めた。

心が離れるなら、体で繋ぐしかない。情を重ねた後の『愛してる』は、まるで自分に言い聞かせるかの様だった。

そして、長女が生まれる。正直、昔から子供は嫌いだった。自分の子供とは言え、愛せるのだろうか。この状況下では、不安要素しか無い。だが、その思いは杞憂に終わる。生まれたばかりの娘を見ながら『猿みたい』と、呟きながらも、この先、頑張って行く理由を見つけた気がした。

『子は鎹』と、良く言ったもので、それからは少し安定する。いや、正確には育児で『それ所では無くなった』が、正しいかもしれない。未熟な二人が必死になって『家庭』を作っていった。

長女は、あまり懐いてくれなかった。自分の『抱っこ』で寝た事は無い。必然的に負担は妻に掛かり、余裕を失っていく。それでも最優先は『自分』である事は譲れない。『両方』から求められ、徐々に妻は壊れてく事になる。

妻も仕事が繁忙となり、育児と自分からの重圧で、ついに異変が起きてしまう。

ある日、突然、妻の動きが止まった。『やばい、ヤバい・・ちょっと・・無理!救急車呼んで!』 何が起きたか、解らなかった。しかし、尋常では無い雰囲気に救急車を呼ぶ。来た頃には、既に落ち着いて居たが一応、病院に行く。診断結果は『パニック症候群』だった。

妻は仕事で『管理者になった重圧から』と、言っていたが、そうは思えなかった。そこまで追い詰めてしまっていたのか。なら、もう十分だろう。自分が変わらなければ、本当に壊れてしまうかもしれない。その日から、何も言わない事にした。しかし、まだ全てを許せる訳も無く、今度は自分の方が変になって来る。絵に書いた様な悪循環に陥っていた。

状況には矛盾していると思いながらも、妻の強い希望で家を建てる。自ら退路を断ち、添い遂げる覚悟だったのかもしれない。

それからの7年間は、形の違う歯車を、無理やり擦り合わせる様な毎日だった。そんな中、次女が生まれる。

次女は懐いてくれた。やはり子供とも『相性』はある。一度の流産を経て授かったが、最初の診断では『双子』だった。予想外の事態に『動揺』したが、先生より『まだ判らない、一人になる事もある』と、言われ経過を見た。すると、実際に一人になってしまった。自分の動揺を見て、片方が『遠慮』したのではと、少し落ち込んだ。

次女の面倒は自分も見たので、生活のリズムは安定して来た。それだけに、ドス黒いものが『再燃』し始める。妻の病気は治る事なく『薬』に頼る毎日だった。その上、妻への追い込みが再開し、薬は増える一方で『最早、これまでか』と、思われた時に状況が変わる。他所への『転勤』が決まった。期間はおよそ4年間。次女も生まれたばかりで、本来なら『落胆』だが、事実上の『別居』にお互い胸を撫で下ろした。

 

この転勤がどう転ぶかは、分からない。だが、破滅しか見えなかった状況からは、一縷の光明に思えた。お互いこれを機に立て直せる事を信じて、更なる茨の道に足を踏み入れた。

以上